秋の夜長について語ります。

つぶやき

こんにちは、りぼん🎀です。

やっと、秋の入口に立ったと言える気候になってきましたね。
この季節は過ごしやすく、なんだかワクワクします。
夏の名残も少し感じながら、空気が軽くなっていくようで、つい活動的になってしまいます。
できればこの季節が少しでも長く続いてほしいものです。

秋の夜長

九州にいた頃

小さい頃は四季の中では秋が一番好きでした。(今は新緑の季節、春が好きです。)


童謡のカセットテープを持っていたのですが、その中でも「ちいさい秋みつけた」が一番のお気に入り。あの歌を暗くて怖いと言う子もいましたが、あの少し物悲しい雰囲気が、子どもながらに“ちょっと大人な気分”にさせてくれたんですよね。


芋や栗は、「ピチピチの大人の女性の好きな食べ物」というイメージがありました。
特にモンブランは食べると背伸びした気分になっていて、今思えばちょっとませていたのかもしれません。

(モンブランの記事もどうぞ→コチラ

秋は「大人に憧れている私」を大人に近づけてくれる季節でした。

そんな子どもの頃の私、「〇〇の秋」は現実は「食欲」ですが、理想は「読書」「芸術」です。

秋の夜長に読書を楽しむ

この響きが最高に大人♪(分かってもらえますでしょうか。。笑)

でも、いつも思っていたんです。

「秋の夜長って言うけど、そんなに長い?
夏より暗くなるの早いけど、本を読むほどの時間はなくない?」

今は神奈川で生活していますが、九州出身です。
実際、日の入りの時間が全然違うんです。

今日の日の入りは、
熊本(九州のおへそ)が17時39分、
東京(日本の首都)が17時00分。

約40分も差があります。

東京じゃ読書する時間が作れても九州だと食欲になっても仕方がないよ!とあの時の私に教えてあげたいです(笑)。

関東では

神奈川で生活をするようになって、文字通り「秋の夜長」を実感しています。

九州は地域の”おうちに帰りましょう”のチャイムは早い時期で17時に鳴りますが、関東は16時半。しかも17時は真っ暗です。

「秋の夜長」を気にしてませんでしたが、自然と夜の時間がゆっくり過ごせるようになり、本を読む時間も自然と出来ました。

そして、今の私が「秋の夜長」にぴったりだなと思うのが――花火大会🎆です。

花火大会は夏の風物詩ですが、暑い中で人混みに揉まれ、汗と熱気でベトベトになりながら見るのは正直ちょっと大変。
しかも夏は暗くなるのが遅くて、終わる時間も気になります。治安も心配です。

先週末、近所で花火大会があったのですが、
過ごしやすい温度で汗でベタベタにならないし、開始時間が18時!
真っ暗な中で空気が澄んでいるせいか、花火がとても綺麗に見えました。

静かな秋の夜に花火の音が響きます。

花火が終わっても18時半!なんだか得した気分になれました。

時代

秋の夜長に読書を楽しむ

私が憧れていたフレーズは、実はとても古いものです。

”秋の夜長”という言葉自体はすでに平安時代の『源氏物語』や『新古今和歌集』に登場します。
つまり、人は昔から自然と「秋の夜は長い」と感じていたんですね。

江戸時代になると、寺子屋や木版印刷の発達で庶民にも本が広まり、
「秋の夜長に読書」が俳句や川柳の定番の題材になります。

明治時代には教育と印刷文化がさらに進み、
「食欲の秋・スポーツの秋・読書の秋・芸術の秋」というセットの言葉が生まれました。
この表現は、明治末〜大正時代の頃に広く使われるようになったそうです。

思うこと

それぞれの時間

関東は九州と比べて暗くなるのが早い分、朝明るくなるのも早いです。
夏は6時前には明るくて目が覚めます。みなさんの活動時間も早い印象。
朝も夜も時間の流れが早いです。


一方で九州は日照時間が長いぶん、全体的にゆったりしている気がします。
(全部、私の個人的な感想ですが…笑)

それぞれの地域で、季節の感じ方も違うのが面白いところです。

花火大会の秋

「秋の夜長に読書を楽しむ」――
私が子どもの頃に憧れたこのフレーズは、江戸の人々の情緒を受け継ぎ、
明治の啓蒙文化の中で広まった言葉なんですね。

そして今は令和。私はアラフォー。

小さい頃はあんなに憧れていたのに、少し飽きてしまった自分もいます(笑)。
でも、“秋の夜長”という言葉は、時代や生活が変わっても
自然と感じられる風情があるのです。

令和の秋の風情をひとつ加えるなら――
私は「花火大会の秋」を推します🎇

夜の静けさの中で響く音と光。
読書の秋もいいけれど、空を見上げる秋も素敵ですよね。
現代の“秋の夜長”にぴったりの楽しみ方だと思います。

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