映画「国宝」、Netflix「ウンジュンとサンヨン」見ました。(ネタバレなし)

エンタメ

こんにちは、りぼん🎀です。

映画『国宝』とNetflixドラマ『ウンジュンとサンヨン』を見ました。
どちらも“同性のライバル関係”を軸に描かれた作品です。

今回はそのつながりで感想を書いてみたいと思います。

映画「国宝」

来館者の年齢層は高め

2025年6月6日に公開されましたが、映画館に見にいったのは9月末。

公開から3か月半以上経っていましたが、お客さんはほぼ満席。年齢層は高めで、男女比は若干女性が多かったです。

ご年配の方が多いせいか、上映中に携帯が何度か鳴ったり、バイブの通知音が聞こえたりもしました。

それでもまったく気にならないほど、映画の世界に集中していました。
むしろ、それを不満に思う気持ち遮ってしまうほど、映画から流れる情報を受け止めたかったのだと思います。

1カ月後に感想を書く理由

見に行って1カ月後に感想を書くのは、映画を見て感じたことを「感じたそのままの状態」で味わいたかったから。
理屈でまとめたくなかったんです。

歌舞伎や『曽根崎心中』を知らなくても、作品の中で語られる言葉や演技で十分に“感じる”ことができました。

感想(ネタバレなし)

映像も音楽も演技も、すべてが儚く美しい映画でした。

まず、吉沢亮さんと横浜流星さんのお顔が美しい。ドアップはまさに”造形美”‼吸い込まれるようでした。

二人とも持っているものが違いますが、人生の全てを歌舞伎にかけています。

自分自身が発するエネルギーが原動力となって進んできたのに、
どうにもならない状況がもどかしく、儚い美しさの陰のようです。

自己投影なんて恐れ多くてできません。
共感が必要ない映画でした。

主人公の人生を追って、芸を見て感動し、好感を持っている観客(私など)でさえ、
主人公を近くに感じることが出来ないのもまた儚さの陰。

でも、儚さの中に「ライバル」がいる。
不確かな状況でも芸があることとライバルがいるということは確かなことです。
状況が不安定な2人は私たちが考えるライバルの関係は高校生の時にはとうに超えていて、その先を見せてもらった気がします。

しかもその先は演技で”感じる”ことができる。

探し求めていたものも、演技を見て”感じられる”。。

贅沢な「考えるな、感じろ」映画です。

Netflix「ウンジュンとサンヨン」

全15話のヒューマンドラマです。

女の子2人の友情のゴタゴタ。
最初は“女子のあるある”かな?と思って見始めました。

おしゃれ

映像と音楽がとにかく洗練されていて、おしゃれです。

ゆるっと平日の仕事終わりに見始めたけど、昔の記憶が思い出されてちょっぴり憂鬱になったのでお風呂でアロマキャンドル炊いてリフレッシュ(妄想)

そんな感じ(どんな感じw)のおしゃれさで始まりますが、どんどん削られます。アロマキャンドルじゃ無理です。

アロマキャンドルは無理でも、ドラマのおしゃれな曲がリフレッシュさせてくれます。

毎回エンディングと次回のイントロが同じ曲なのですが、
そのつなぎが本当にスタイリッシュで、見ている側をうまく“リセット”してくれる感じです。

感想(ネタバレなし)

たぶん、多くの人が経験したり共感したりする部分があると思います。

”2人ともそれぞれ違った良さがあって、自分にないとこばかり目について、相手を羨ましく思い、そんな自分が嫌になること。”

誰もが持つ気持ちを、繊細に描いています。
だからこそ、見る側の都合や好みでは解釈させてくれません。

共感できる部分があっても、これはウンジュンとサンヨンの物語。

大人になると、受け入れることより拒むことの方が難しいですね。

おわりに

『国宝』は芸術の儚さの光と影を、
『ウンジュンとサンヨン』は人の感情としての儚さを描いていました。

どちらも“感じる”ことに重きを置いた作品。
観終わったあとも、静かな余韻が心の奥に残ります

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